plummet氏から「絶対音感」というちょっと意表をついたネタ振りを頂いたのは、ちょうど2週間前の事だ。
世界の中心で左右をヲチするノケモノ:ブログ漂流~あるいは一つの差別の類型より抜粋。
こういう音楽系の話は、専門家の極道に任せておくべきだったかな。つーわけでどうですかJ2さん(・∀・)ニヤニヤ
「こういう音楽系の話」がどんな話だったかはリンク元を参照。世間一般から見た「絶対音感」という言葉に対するイメージが垣間見れて興味深かった。
plummet氏からパスが来た時は、「よっしゃ、ノートラップでシュートや!」くらいの勢いだったのだが、思いとどまった。自分の経験と思い込みを頼りに自論を書き殴るのは簡単だが、それだけではいささか無責任な感じがしたからだ。
そこで、あらためて1998年のベストセラー「絶対音感」(最相葉月著)を読了し、このテーマに対する思考も少し深めてみた。そんなこんなで、2週間が経過してしまった次第である。
さて、「絶対音感」とはそもそも何なのか。最相葉月氏からの孫引きになるが音楽界で最も権威があるとされる「ニューグローブ音楽辞典」には以下の様に記されているらしい。
ランダムに提示された音の名前、つまり音名が言える能力。あるいは音名を提示されたときに
その高さで正確に歌える、楽器を奏でることができる能力である。
こう説明されてしまうとなんだかそっけないが、対して世間で語られる「絶対音感」にまつわる風評は、はるかに劇的で神秘的なものが多い。しかしそういった風評のほとんどは、正確さを欠いていたり、大仰だったり、絶対音感とは関係の無い話だったりする。いくつかピックアップしてみよう。
- 自然界のあらゆる音が「ドレミ」で聞こえる
- 絶対音感は天才音楽家へのパスポート
- 不眠症やノイローゼになる人がいる
- 一度曲を聴いただけで、演奏したり譜面にしたりできる
- 純正律に違和感を覚える。
- 移調が苦手
正確には、絶対音感を持つ人の中にも「聞こえる人と聞こえない人がいる」。
「絶対音感がある」という物言いは、「英語が話せます」というのと同じくらい幅が広い。「英語を話せる」と一口に言っても「日常会話くらいは」という人から「同時通訳」レベルの人までいるように、絶対音感の持ち主と言っても「ピアノの音に限定」「楽器は限定しないが苦手な音域がある」「体調が悪いと判らなくなる」「1Hzの違いも全て聴き分ける」など様々な人がいる。
「絶対音感」と「音楽の才能」は全く関係が無い。
「優れた視力」と「画家の才能」に例えた人もいるが、いい例えだと思う。そのくらい的外れな話だ。クラシックの大作曲家の中でも、シューマン、チャイコフスキーなどは絶対音感が無かったと言われる。現在ポップフィールドで活躍しているプロのミュージシャンの中で、絶対音感を持つ人は5%に過ぎないと言われている。
ジョンレノンが絶対音感を持っていたなんて話も聞かない。
音楽家にとって、絶対音感は「あると便利なツール」でしかない。
そう訴える人がいるのは「事実」だろうが、それが「絶対音感」に起因するかどうかは甚だ疑問だ。自分の身近にも絶対音感を持つ人は何人かいるが、みんな心身共に健康そのものだ。「情報を認知する能力」と、「認知した情報をどう消化するか」は別の問題ではないだろうか。絶対音感が無くとも、時計の針の音が気になって眠れない人はいる。冷蔵庫のノイズが気になって眠れないのも、何も絶対音感保持者の専売特許ではない。
それができるのは、「既に譜面を書く能力がある人、既に演奏できる能力がある人」だけである。バイエルしか弾けない人が、ショパンの幻想即興曲を1回聴いて弾けるようになるという事は、当然有り得ない。それに、こういった事が「絶対音感保持者以外は無理」なのかというと、そんな事は無い。優れた相対音感の持ち主であれば、実はほぼ同じ事ができる。ただし基準音の特定が出来ない為、CメジャーやAマイナーなど、簡単な調に脳内変換する場合が多い。
ただ、やはり聴き取りの速さ・正確さという意味では絶対音感保持者にはかなわない。
これは良く「絶対音感の弊害」として語られる事だ。
plummet氏んとこのコメント欄でも、若隠居氏が指摘している(さすが博学です)。
ちなみに純正律とは判りやすく言うと「和声がよりキレイに聞こえる様にチューニングした音階」であり、それに対して平均律というのは「1オクターブを12等分した音階」だ。ピアノなどの鍵盤楽器や、殆どの電子楽器はこの「平均律」でチューニングされている。要するに、平均律で絶対音感を身に付けると、純正律が「チューニングが狂っている」ように聴こえて気持ち悪いという話だ。
しかし音階というのは、音の相関関係の定義であり、つまり「相対音感」にモロに関係するものだ。だから、純正律に違和感を覚えるのは相対音感保持者も同じ。平均律以外の音階を知らない、というのが違和感の元凶であり、正確に言うと絶対音感に起因するものではない。しいて言えば、絶対音感を獲得する過程でおそらく刷り込みが強すぎたのだろう。音感そのものよりは絶対音感を身に付けさせるまでの教育手法、過剰な刷り込みに無理があるのかもしれない。
音楽家全体を見ても「移調が得意」「移調大好き」な人は極めて少ないだろう。曲を自在に移調して弾く、というのは高度なトレーニングの積み重ねが必要であり、絶対音感を持たなければ得意になれるという話ではない。これは推測なのだが、絶対音感を持つとソルフェージュの類はたいがいラクにこなせてしまうもんだから、他でラクをしている分、相対的に「移調が苦手」に感じるというだけの話ではないか。
ある程度の絶対音感は、全ての人にあるというのが私の自論である。
「音極道」に「耳道」のコーナーを作ったのも、そんな考えに基づくものだ。
私の場合、ヤマハで聴音などのソルフェージュ教育を幼少期に受けたのだが、6歳の時にカリキュラムを4ヶ月ほど休んだのが影響したのか、結局身に付かなかった。
「耳道」は自分にとっての「リベンジ」なのだ。
最相葉月氏の「絶対音感」に次のような記述があった。
絶対音感の記憶の深さは、よく母国語やバイリンガルに相当する言語の記憶にたとえられる。母国語を獲得する臨界期は六歳頃であり、バイリンガルになる為には個人差はあるが、六~九歳の間に複数の言語に晒されなくては母国語並みに話せるようにはならない。
~中略~
一方、ダイタイ音感は、臨界期以降に習得する外国語にたとえられる。
この記述は、自分の個人的感覚にも合致する。絶対音感の体得過程は「外国語の習得」に近いと思う。だとすれば、何も絶対音感を諦める必要は無い。幼少期の様な急激な進歩はなくとも、地道な変化はあるはずである。
皆さんにもこういう経験は無いだろうか。
自分がいつも歌っているカラオケの18番。曲が始まった時に、イントロがいつもより高いな、もしくは低いな、と気付いた。
とか、
自分の思い出深い曲や、何度も繰り返し聴いた曲など、頭の中で音を正確にイメージできる曲がある。
などなど。これらは紛れも無く「絶対音感」の断片である。
私の場合、頭の中で音を正確にイメージできる曲は以下のような感じ。
- イタリア協奏曲(バッハ)
- 幻想即興曲(ショパン)
- Yenショップ武富士のCM曲
- そのぬくもりに用がある(サンボマスター)
最近では
など。
自分の場合イタリア協奏曲の最初の音(F)をイメージしながら耳道をやると正解率が飛躍的に上がった。みなさんも好きな曲を何度も聴いて、その出だしの音が何なのかをチェックしておくと、自分の中の「基準音」になるかもしれない。
あと、最近耳道へのアクセスもお蔭様で増えてきたので、これを機会に耳道に関して少し解説。
ブラウザのアドレス欄に回答結果のパラメータがあるのでそれを参照すれば、回答直後にその正否を知る事ができる。例えば1問目正解直後のアドレス欄を見て ”http://www.virtual-pop.com/ear/ear_q2.php?q1=Y&dm=26901″
となっていたとすると、”q1=Y”の部分が結果パラメータで、この場合1問目正解という意味。不正解だった場合はここがq1=Nとなる。ブラウザの戻るボタンで戻れば同じ問題をリトライできる。
3問目、4問目は専門的過ぎて初心者の方には不親切であるのは否めない。もともと耳道は「自分」の為に作った頁だったので。最近は、挑戦者もお蔭様で増えてきたので、正解解説の頁を追加するのは前向きに検討したいと思います。
最後に。タイムリーにも、デイリーポータルZで絶対音感ネタが取り上げられていた。
耳道の次はこちらに挑戦してみると面白いかも。
「「絶対音感」の虚実」への22件の返信
絶対音感エントリー、キタ─wwヘ√レvv~【゚∀゚】─wwヘ√レvv~─ !!!!! これで当分、ご飯三杯はイケマス。
自分は、小・中学校の音楽の授業以外では、楽器は全然、習ったことはなく、三~六歳の間に、絶対音感を習得する機会に恵まれませんでした。がしかし、
>などなど。これらは紛れも無く「絶対音感」の断片である。
こんな音感がひどく悪い自分にも何故か、J2さんと同様に、その「絶対音感」の断片があります。
Cmaj7(E音抜き)を聞けば、Alanis Morissette「Thank U」
Dm7を聞けば、Billy Joel「Piano Man」
C♯mを聞けば、George Winston「Longing/Love」
Am/Gを聞けば、Chicago「Saturday in the park」
B音と一オクターブ上のB音を交互に鳴らせば、Vanessa Carlton「A thousand miles」
E♭sus4を聞けば、John Lennon「Woman」の二番目のコード
幾つかの曲の一番最初のコードないし音が、また、多分、A4の音(440~445Hz)も頭にこびりついているようです。でも、どういう訳か、ピアノの音でないと、覚えられません。また、オクターブ違いだと、認識できません。これらのコードや音なら、基準音を与えられなくても、ピアノの音色であれば、オクターブ違いでなければ、だいたい当てられると思います(半音くらい、間違うことはあるかと)。それ以外の音色、例えば、人の声だと、まったく分かりません。それどころか、人の声だと、相対音感も、かなりアヤしくなります。ある音を基準に、高い低いくらいは分かっても、何度高いか低いかなどの音程の感覚は、それはヒドイものです。当然、音痴ですよ。一般的に、三~六歳の間を過ぎてしまうと、絶対音感は身につかないと言われますが、それでもやっぱり、( ゚д゚)ホスィ…
ちなみに、J2さんは、例えば、三和音や四和音を耳にされた場合、どのように聞こえるのでしょうか? 3(4)音が一音一音、それぞれ鮮明に聞こえるのでしょうか? ソルフェを習われたJ2さんのことは、かなり羨ましく感じます。
シンクロニシティさん>
>自分は、小・中学校の音楽の授業以外では、楽器は全然、習ったことはなく、三~六歳の間に、絶対音感を習得する機会に恵まれませんでした。
えーーーその割に豊富な知識をお持ちのようで。sus4なんてウチのバンドにも知らないヤツが2、3人いそうですorz
シカゴのサタデイインザパークは私もしっかり記憶に残ってます。インパクトがあってイメージしやすいっすよね。名曲です。ちなみに正しくはAm7/C ですね。
私も耳道では半音くらいの誤差があります。DかEか迷ったら結局答えはD#だったり。
>ちなみに、J2さんは、例えば、三和音や四和音を耳にされた場合、どのように聞こえるのでしょうか?
塊で聴こえます。注意して聴けば構成音が個々で聴こえますが、最初から構成音が聴こえる事はまず無いです。
でも、絶対音感を持っている矢野顕子や大西順子なども「塊で聴こえる」と言っています。一音一音鮮明に聴こえる、という人も確かにいますね。あれはすごいなと思います。
サタデイインザパークの冒頭は、C9/Aでした。間違ったorz
.vωv
´||゜ †
( ゜∀゜)ノ すばらしい。期待に応えてくれて主もお喜び気味です。
なるほど都市伝説じみた部分もあったんですなぁ。というか、範囲の中の先鋭的な部分だけが先立って流布されたような感じか。
視力と画才のたとえはいいですね。分かりやすい。
あーなんかインスピレーションが降りてきそう……
教祖様降臨~~
いや、こちらこそナイスな振りをありがとうです。いろいろ考える機会になりやんした。最相氏の著作には他にもいろいろ面白い話がありましてね。
日本人と絶対音感の歴史の中には、戦時教育が大きな影を落としているとか。戦時教育では絶対音感教育が盛んで、敵機の爆音や敵船のスクリュー音を聴き分ける事を目標としてたとか。いや、マジで日本人の発想はスゲーと思いますた。
>範囲の中の先鋭的な部分だけが先立って流布されたような感じか。
まさにその通りっすね。で、それを助長してるのが絶対音感を持つ当事者達だったりする。エリート意識の発露というか、「私はあなた達凡人とは違うのよ!」みたいな。
件のタレント(志望?)のコなんかもそれに近いものが垣間見えますな。というわけで、教祖様に粉っぽい御茶を勧めてみる
( ・∀・)つ旦~ドゾー
いえいえ、このHNからもお分かりのように、洋楽ヲタであり(邦楽ヲタでもありけど)、単なる一リスナーなくせに、何を血迷ったか、あれこれ音楽理論の本を読みました。
さて、サタデー・イン・ザ・パークの冒頭は、C9/Aなんですか。自分に書き間違えがありましたが、スコアを立ち読みした時、ピアノパートのオタマジャクシがG、A、C、Eと並んでいた記憶があるんですが(すみません、下段のベース音の方は覚えてません)。なので、自分の耳には、Am7/Gに聞こえると思い込んでました。間違ってラベリングしていたなら、ちとヤバス。
そして、絶対音感保持者でも、和音が塊で聞こえる方もいらっしゃるんですね。ピアノの鍵盤の幾つかを適当に同時に叩いて、「どの音が鳴りましたか?」と聞かれて、すべての音を答えられる小学生がテレビ番組に出たりしますが、絶対音感保持者の全員が全員、そこまでの芸当ができるという訳ではないのかなと思いました。疑問その1ですね。実は、絶対音感がある人は、例えばG7→Cのコード進行で、G7のBとFが作るトライトーンが、それぞれ半音上がって(あるいは下がって)、CとEという長三度に解決するという音符の動きが手に取るように、いいえ、耳に取るように分かっているものだと思っていたので、羨ましく感じていたんです。
どうもレス、有り難うございました。絶対音感エントリーには、今後も色々、ネタを供給するつもりです。
シンクロニシティさん>
>単なる一リスナーなくせに、何を血迷ったか、あれこれ音楽理論の本を読みました。
いや、読む事は誰にでもできますが、理解するのは難しい。シンクロニシティさんはちゃんと理解されている様で、素晴らしいです。
>ピアノパートのオタマジャクシがG、A、C、Eと並んでいた記憶があるんですが
なるほど。構成音はおっしゃる通りですし、この情報だけだとAm/Gと解釈する事もできますね。でも、実はベース音がAなのでした。
>絶対音感保持者の全員が全員、そこまでの芸当ができるという訳ではないのかなと思いました。
そういう意味では、絶対音感保持者は皆できると思います。
ただ、聴いた瞬間にどう聴こえるか、の問題で、歌の歌詞に例えると良いかと思います。歌詞って注意して聴いてないと流れて言っちゃいますよね、つか、音楽やってる人は歌詞から聴かないので殆どの人は最初歌詞は聴こえないんです。で、歌詞を聴くときは歌詞に集中しないと聴こえない。
同じ様な感じで、構成音を聴き取るのにモードを変えなきゃならないんですよ。相対音感と絶対音感をバランス良く持ってる人は、塊で(全体の響きで)最初聴く傾向がある様に思います。構成音を聴くってのはちょっと「音楽的」じゃありません。
んっと、なんとなく絶対音感についての話題では、「音楽を聴いた時に言語野が働く」という話と、「周波数を読み取るセンサーとゲージが高性能」って話がごっちゃになってる気がするんですよね。
訓練しようとすると、言語野の方が入り口になって、まず「音を言語化」することから入らないと「センサーとゲージの高性能化」ができないので、訓練して獲得した人は共通して「音名が言える能力」があるのではないかと思います。
ところが、歌うと無茶苦茶な音痴なのに音を聞かせると正確に音名を当てられる人ってのがいますよね。Aの音程出して、って頼むと正確なのに歌うと音痴とか。
本にもあったと思うけど私も複数知っています。全員ソルフェージュの指導を受けた経験がありました。彼らは非常に高度に音を抽象化しているようで、「この音を歌おう」と考えた事が脳内にフィードバックして「楽しめてしまう」ようで、肉体からどんな音が出ていても音楽が成立してしまうように見えました。
♪ちゃんちゃちゃちゃちゃん・・・ (←水戸黄門かキャプテン)
コメントスクラーム!!エントリーに関係なく、しが研サンバが、8月最初の登場だよー(♪オーレーオーレー)。
昨日は、映画の日。「ヒトラー~最後の12日間~」(原題と違うぞー)を見てきたよー。
臨界期にドイツ語を聞いていたもんで、字幕見なくても会話は全部聞き取れたよー(大嘘)。
おかげで(2時間半ほど字幕を見すぎて)、頭痛が続いてるよー。
^’l~
m(_ _)m
J2さん>
サタデー・イン・ザ・パークのコードの件(ベース音がA)は、了解しました。有り難うございます。自分は耳の性能が低いので、ポツンと低い音域にある一音は、聞き漏らしてしまうのでしょう。
>構成音を聴き取るのにモードを変えなきゃならないんですよ。
>相対音感と絶対音感をバランス良く持ってる人は、
>塊で(全体の響きで)最初聴く傾向がある様に思います。
このあたりが、音感の悪い自分にはとっては、落とし穴だったようです。例えば、テンションが入ったブロックコードをピアノで弾くジャズなどで、そのコードの響きの色合いを楽しむために、塊で聴くこともあるだろうけど、普段は、コードを構成音として聴いているのだとばかり想像してました。
というのも、自分が邦楽ポップスと洋楽を比較して感じた大きな違いとは、邦楽はモノフォニー的であり、洋楽はポリフォニー的だということでした(例として、Led Zeppelinなど)。それで、対位法に興味を持ち、本を読みました。それから、絶対音感のある人はきっと、対位法的な曲に限らず、どんな曲に対しても、全ての音符の動きを個々に認識しつつ、縦で見た時、その各パートの音が、どんなハーモニーを構成しているかも判別しながら、聴いているのだろうと思い、羨ましいなあと感じていたんです。
>構成音を聴くってのはちょっと「音楽的」じゃありません。
なので、エエエェェ(´д`)ェェエエエ とびっくり。勘違いしてたみたい。
さて、供給しようとしていたネタは、kumakuma1967さんの書き込みと関連があるので、J2さんがkumakuma1967さんにレスされてから、投下します。
kumakuma1967さん>
>、「音楽を聴いた時に言語野が働く」という話と、「周波数を読み取るセンサーとゲージが高性能」って話がごっちゃになってる気がするんですよね。
おっしゃる通りですね。センサーとゲージという事であれば、相対音感のみでもアンサンブルの中でわずかなチューニングの狂いも察知する人とか、いそうです。そういう人はセンサーが鋭いのでしょう。
>ところが、歌うと無茶苦茶な音痴なのに音を聞かせると正確に音名を当てられる人ってのがいますよね。
そういう人いるみたいですね。私の身近にいる絶対音感保持者はみんな音楽関係者なのでそういう人に出会ったことは無いんですけど…いや、絶対音感なのに音痴…それだけは「謎」です。不思議ですねー。
しがない憲法研究家さん>
>コメントスクラーム!!
正しくは、コメンツスクラーム!!だったって知ってました?
>昨日は、映画の日。「ヒトラー~最後の12日間~」(原題と違うぞー)を見てきたよー。
あれ、もしかしてドイツで物議を醸したとゆーあの映画ですか?もう日本でもやってたんですね、知らなかった。
ヒトラーといえば、今月のヒストリーチャンネル(CATV)がスゴイ!終戦60周年という事で、特番がわんさか。録画しなきゃー。
シンクロニシティさん>
>普段は、コードを構成音として聴いているのだとばかり想像してました。
メロディであれば、時間経過に伴う音の変化、つまり変化前後の音の差を味わうわけで、これは相対音感。和声だともっと直接的に瞬間瞬間の音の差が生み出す周波数のうねりを味わうわけで、これも相対音感。だから音楽家が鍛えられるのは相対音感なのですな。構成音を聴くという姿勢は、どちらかというとその音楽を「分析」する時であって、あまり「味わう」「楽しむ」感覚じゃないっつー事ですな。
.vWv
´||゜ 旦~
( ゜∀゜)ノ いたらきまーす
.vWv
´||゜
( ゜◎゜) ズズズ・・・
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´||゜
( ゜д゜)o旦 粉っぽい……
>正しくは、コメンツスクラーム!!だったって知ってました?
ははは。見解いろいろあるようですね(教祖様のところの7月30日の超破瓜さんのGoogle検索結果参照。)
若隠居さんのところにも書いてあったはずですが、もう忘れてしまっておりまして、私がきちんと把握していなかったようです。nomadさんのところも見てきました。
^’l~
m(_ _)m 申し訳ありんした。
しかし、そうすると、某教授のブログに書いてある(c)も訂正せねばなりませんなぁ・・・。
J2さん>
自分は音感が悪いこともあって、音楽家に舐められまいと、言うならば、音学的になっている面が強いようです。
またくどい話になることをお断りします。絶対音感でも相対音感でもどちらでも構わないんですが、ミュージシャンは、一般人と違って単にボーっと聞かずに、例えば、ドミナント7thコードからトニックコードへ進行したとかtwo-fiveだとか、この小節はこのコードに支配されているから、メロディのこの音は、経過音だとか倚音だとか、無理することなく自然に分析しながら、聴いていると思っていたんですが、J2さんの書き込みを拝読するに、ミュージシャンは、そういった音符の動きよりは、音(旋律や和音)が動く際に受ける印象や感覚にこそ、神経を集中しているように感じました。
ネタを投下します。すでにplummet宗匠のところで、リンクが貼られていましたが。
http://www.1101.com/kasoken/2005-04-08.html
http://www.1101.com/kasoken/2005-04-15.html
http://www.1101.com/kasoken/2003-05-23.html
並びに、kumakuma1967さんの書き込みを踏まえつつ、絶対音感と脳の言語野は密接な関係があるようです。絶対音感保持者が、音楽を聞きながらだと、本を読むのが難しいという話があるのは、耳から入ってくる旋律や和声に対して、言語野が反応し、「音を言語化」しまうため混乱が生じるのだと考えます。例えば、一般人でも、ラジオのトークを聞きながら、本を読んで、両方とも理解するのが難しいように。これが本を読む代わりに、手馴れた計算問題を解くことなら、ラジオのトークを聞きながらでも、一般人である自分は、さほど苦になりません。
http://blog.goo.ne.jp/iwata_t728/e/a184e9c27dcfaa1ea3c3b2eee1de6ca8
計算を司る脳の部位と言語を司る脳の部位は異なるらしいことが、その理由かと思われます。
以上のことから、J2さんの
>絶対音感の体得過程は「外国語の習得」に近いと思う
というご意見には、諸手を挙げて賛同します。つまり、絶対音感とは、言語を習得するのに近いという考えです。
次に、唐突ですが、失語症を考えてみます。脳梗塞などにより、言語野が壊れてしまった場合、絶対音感保持者は同時に、絶対音感もまた失われてしまうと考えられます(念のため、仮説です)。
http://cyber.tokaigakuen-u.ac.jp/cosmos/century/jintai5.htm
上のリンク先で、「マグダンツ」を検索して、そのあたりの記事をご覧になっていただくきたいのですが、自分は興味深く感じられました。彼の場合、左脳の言語野が壊れてしまったが、強い意志による訓練の結果、右脳に存在しないはずの言語野ができてたという点です。これは特別な事例で、珍しい例外に分類されるかもしれません。その点を踏まえつつ、ケースとしては稀かもしれないが、三~六歳を過ぎても、絶対音感という言語を感知する言語野を作ることは可能なのではないか? という仮説を考えました。とは言ったところで、その習得のメソッドについては、まったく言及できません。先の「絶対音感の断片」が、そのヒントになるかもしれませんが。
(教祖様から頂いた茶なんだが…)
.vWv
_, ._ ´||゜
( ゚ Д゚) ( ゜д゜)o旦
しが研さん>
コメントスクラム (c)小倉秀夫
コメンツスクラーム! (c)サスケット隊長
でがす。
http://blog.goo.ne.jp/hwj-ogura/e/139029576ec710c254ea080315dbbdf2
http://sasuket.blog7.fc2.com/blog-entry-15.html
シンクロニシティさん>
ほぼ日は私も読みました。ネット全体見回してみても、絶対音感ネタは意外と良質なテキストが少ないので重宝しました。
>脳梗塞などにより、言語野が壊れてしまった場合、絶対音感保持者は同時に、絶対音感もまた失われてしまうと考えられます
その仮説は面白いですねー。いかにも有りそうな感じです。しかし、脳の研究というのは神秘的ですね。全てを解明するのは永遠に出来ないのかもしれません。
まだまだ、ひよっ子(2等兵?)のしが研です。
東京と福岡にはひよこというお菓子があるんです。関係ないか・・・。
そうでしたか。コメンツスクラームの件(お布施箱はJ2さんがお持ちなんですね・・・。)。
ちゃんと過去ログを読まないといけませんねorz。
(c)トレーラビリィティとか・・・。
昨夜は飲みすぎたので、これにて(本当か?)。
^’l~
m(_ _)m
J2さん>
>ネット全体見回してみても、絶対音感ネタは意外と良質なテキストが
>少ないので重宝しました。
全く同感です。でまた、実はそれ以上に、相対音感に関する良質なテキストもないんですよね。絶対音感と言語野の関連性は分かったけど、相対音感は、脳のどの部位と関連性があるのか、分かりませんでした。
http://bubble4.2ch.net/test/read.cgi/chorus/1120888211/111-112
絶対音感と相対音感の違い、上のリンク先の表現は分かりやすいですね。
ここで、音高とは、「音の高さ」(通常、Hzという単位で表される)、音程とは、「X音とY音を比較して、その音高の比」と定義します。
1.絶対音感
ある特定の音高の音を絶対的に記憶している能力。易しい言い方をすれば、基準音がなくても、ある特定の音高の音を、声やヴァイオリンなどの楽器で再現できる能力(絶対音感保持者でも、中には音痴もいるようですが)。例えば、基準音なしに、音高が440、442、445Hzなどの音を耳にした場合、それらを440Hz付近の音と認識できるのが絶対音感であり、そして、440Hz付近の音を「ラ」であると分類する作業を、ラベリングという。
絶対音感も、人によって、その能力に差があり、たった1Hzの違いも聞き分けられる精度の高い人もいる。
2.相対音感
二つの音を比較して、その音程を認識できる能力。易しい言い方をすれば、基準音が与えられれば、ある特定の音高の音を、声やヴァイオリンなどの楽器で再現できる能力。例えば、基準音としてA音(ラ)を与えられた場合、そこから完全五度上の音程にあたるE音(ミ)を再現できたり、あるいは、A音(ラ)から見て完全五度下の音程の音を、基準音を頼りに、D音(レ)であると類推できること。
こんな感じでしょうか。
ここでまた、ネタ投入です。前々から、相対音感に関して、音痴な自分が感じている疑問があります。相対音感によって、音を作る際のメソッドです。
最初の音符がA音(ラ)で始まるメロディを歌うとします。基準音としてA音(ラ)が与えられたとして、そのメロディに含まれる全ての音符を、基準音ラから類推すべきなのでしょうか? それとも、例えば、最初から数えて5番目の音符は、その直前の4番目の音符から類推するというように、それぞれの音符は、その直前の音符を基準としてから作るべきなんでしょうか?
また、相対音感がある人は、この旋律は、長二度、長二度と下がって、完全四度上がるといったような境地なんでしょうか? そういう点では、自分は、旋律の音程はうろ覚えというか、体感的に覚えているといったような感じです。だから、音痴なんだろうけど。
すみません、上の書き込みは、自分です。
しが研さん>
あー、ウチもお布施は受け付けてますよw
まだ誰もお布施してくれたことないけど。
シンクロニシティさん>
合唱版!?また渋いっすね。存在すら知らなかったっすw
>相対音感によって、音を作る際のメソッドです。
まず曲が持つ調性が一番重要です。最初の音からというよりも調性が持つ響きから無意識にルートとの距離を測っている感じです。だからこそとっさにCメジャーやAマイナーで歌えるわけです。そういう意味でメロディ単独ではなく和声も全部意識してます。だから、和声構造が破壊された現代音楽みたいなんは絶対音感保持者の方が数段有利になりますね。
コメントスクラム/コメンツスクラーム! 世界一の俺がきましたよ。
むしろ(c)マークは俺に。
ゲイツだってMS-DOSは自分のだって言ってるわけですし。
nomadさん>
>コメントスクラム/コメンツスクラーム! 世界一の俺がきましたよ。
世界一でしたか。こだわるなあw
MS-DOSは確かにゲイツのものだし、FlashはAdobeのものですね。判りました。1200万ドルでサインしましょう。