知らない言葉。
私が学生だった頃、新聞や書物を読んでいて「知らない言葉」に出会ったときにその疑問を解決する事は決して楽な作業ではなかった。
国語辞典を引く。
親や友人に尋ねる。
この程度の作業で疑問が解決すればかなり幸運。
大抵の場合疑問は解決するどころかますます深まって途方に暮れた。
どうしても気になった時は書店へ行った。
まずは「現代用語の基礎知識」や「imidas」といった類の本を当たってみる。次は専門書、専門用語辞典の類。あちらこちら詮索しているうちにあっという間に時間が過ぎた。
時には書店でお目当ての言葉に巡り会う事もあった。やっと探し当てた「解説」。それが、ほんの数行の記述であってもそれで全て納得しなければならなかった。
書店でも収穫無しだったら、とりあえずあきらめるしかない。膨れ上がった知的好奇心は満たされぬまま放置された。
知らない言葉。
そんなものの為に悶々とした時代が確かに有った。
気が付けば、いつのまにか「知らない言葉」で悩む事はほとんど無くなってしまった。Googleツールバーに言葉を入力しない日は無いくらい、それは当たり前の作業になった。隔世の感がある。
しかし忘れてはならないのは今現在も「Googleの無かった時代」を生きている人がたくさん居る事だ。
Googleが「新たな試み」で我々を驚かす度に、「情報格差」は拡がっている。
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「Googleの無かった時代」への5件の返信
そういえば、昔は図書館に入り浸りでした。
昔は自転車で20分くらいの所に市立図書館があったし、電車使っても往復500円くらいですむ所に大きな図書館もあったし。
今は近くには無いとはいえ、全く図書館に寄り付かなくなってしまいました。
知的好奇心が全く薄れてしまったのだろうと思っていたんですが、確かに書物の山に埋もれなくてもGoogleがあればある程度の事はすぐに解ってしまうんですよねー…
今は確かに、解らない言葉があればその場で検索バーに放り込んでいますしね~…
その違いが何より大きいのか…
ただ、情報収集の目的ではなく、何か無目的に何となく、ゆっくり知らない書物の海に浸りたいな~という欲求も捨てられないです、私は(笑
あー、大阪の中ノ島中央図書館が懐かしい~!
cioさん>
私は図書館に行くという習慣が全然無かったっす。なんでだろー?
今思えばもったいなす。いいっすねー無目的。今度行ってみようかしらん、図書館。
つか、cioさん大阪!?「マジック1」に反応したりする?
(・∀・)
昔大阪、今は中国地方ですよん。
>「マジック1」に反応したりする?
しませんが、J2さまの新エントリ見ると不安になるかな…
昔の「弱い」阪神は好きでした(何
cioさん>
中国地方でしたかー。ちょっと意外かも
阪神ファンは、たとえ7ゲーム差で首位を走ってたとしても、
(あと7日は首位でいられるんだ…)としか考えられない
のがデフォルトでした。
それがいつのまにこんなに逞しくなって…
あまり調子にのってるとまた暗黒時代が…
不安は尽きませんorz
こんにちは。
思い起こせば、私がインターネットというものを知った時、Yahoo!はまだ日本語に対応していなくて、TITANという検索エンジンしか使えなかったものです。インターネットに接続可能であったとしても、情報を得るためには様々な障壁があって、その時の私にとっては「言葉」が障壁だった。
情報を得るための道筋を得る、という事自体が情報や知識の蓄積だというのは、これはwebや検索エンジン登場にかかわらず、ずっとそうなのではないかと思います。
webや検索エンジンが、空間的な制約や経済的な制約をある程度クリアするのは喜ばしいのですが、一定の検索スキルというか、情報に到達するまでの工夫というのも人間に求められる能力として大事なのではないかなあ、と感じます。