人の脳は10%しか使っていないという説は嘘 という記事が面白い。「なるほどなー」と感心するし、私自身この記事をぶくまし、肯定的なコメントもした。詳しくは、まずリンク先を読んで欲しい。みんなきっと納得する。
ところがだ。
「あるもの」の存在を思い出したとき、急激に疑念が湧いてきた。
いいや、疑念どころではなくむしろ「やっぱり人は脳の10%しか使ってないよママン!」としか思えなくなってしまった。
「あるもの」とは何か。人類は、既に人間の脳そっくりなものを創り出している。それは、コンピューターのCPUだ。
CPUは、占有面積に比べてはるかに消費電力が大きい。その分発熱も大きく、空冷ファンなどの冷却手段も必須である。コンピューターの中でまさに「コストの高い」中枢だ。
しかしシステム設計という観点で考えたとき、CPU稼働率100%が続くマシンなど既に死んでいるも同然だ。平均稼働率50%でも、あきらかに高すぎ。
この「音極道茶室」を公開しているWEBサーバーの場合、平均CPU稼働率は1桁。
最もアクセスが集中し、1日18000PVを記録した日でさえ、平均稼働率は30%を切る。DNSサーバーもメールサーバーも並行して稼動している。
オーバースペック??そんな事は無い。CPUはCeleron800MHz,メモリ512Mのしょぼしょぼサーバーである。
正直、「人の脳は10%しか使っていないという説は嘘」という説のどこに穴があるのかはいまだに判らない。そのくらい説得力はある。でも多分、どこかに考慮漏れがある。
サーバーのCPU平均稼動率が50%を超えただけでシステム屋は肝を冷やすわけだから。実際はやっぱり普段人間は脳の10%しか使ってないんだ。そう確信した。
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「人の脳は10%しか使っていないと確信した」への14件の返信
こんばんは。
アンテナ経由で楽しく拝見しています。
ところでおれのPCは UD Agent を動かしているのでタスクマネージャを見る限り常に100%稼動しているようです。
という話はさておき。
現状の人類がフルに脳味噌を使っていてこの状態というのは悲しいと思うので、わずか10%しか使っていない「であろうと思われる」感想には、とっても同意します。
「『有効に使われている』のが10%」というのはどうでしょう?意識的もしくは無意識的に無駄なことを考えるのに大部分が使われているような気がします。
いや自分のことですけどもw
おお、なるほど!!これは説得力ありました!
俺がのろまで馬鹿なのは100%使ってるからですか?
○率って定義がはっきりしないと意味不明っすね。
脳が消化した栄養素のカロリーから得られるネゲントロピーの理論値に対して実際脳が情報を作り出す量の比をとるとかしたら1%なさそうだし。
脳の使われている部分が10%とか3%とか1%とかの説ってのは白質(神経細胞の量的な比率が少なくグリア細胞の割合が多い)と灰白質(神経細胞の細胞体が多い)の割合からきてるんじゃないかな。グリア細胞より神経細胞の方がえらそうとか、しわが多いと頭よさげとかに近い希ガス。
関係ないけど昔恩人に頼み込まれて助っ人にいったバイト先の経営者と効率の定義でもめて見捨てて返ってきた事思い出した。
彼の定義は一定時間内に手が動いた量、こっちの定義では一定時間内に「仕事が進んだ量」だった。
#手が動いてても元に戻っちまったら納期マニアワネェマニアウワケネェ。
効率があがると消費電力は低下するようですよ。
http://sheepman.parfait.ne.jp/20050111.html#p03
>yoccさん
テトリスになれてる脳はテトリスに使う神経回路のグリア細胞が太って消費電力を下げ、信号伝達速度を高速化してるということかと。
だとするとテトリストレーニング前後でテトリスをしていないとき(アイドリング時)の脳のエネルギー消費量は増え、テトリスしてる時のエネルギー消費量は減ってると思いますが。
いろんな回路を鍛えている脳だと基礎的なエネルギー効率は非常に悪くなりそうですね。
(高速道路走ると排気量のでかい車の方が軽自動車より燃費いい、みたいなもん?)
PET以前にミエリン鞘の役割やイカの巨大神経との比較、アインシュタインの脳の解剖所見、などの段階で仮説設定できなかったんだろうか….
10%説、wikipediaでも同じ所がよりどころじゃないかと書いてありました。検索してからコメントすればよかった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%84%B3
人間の脳を100%使っている状態、というのは観測可能であり、実際に観測されています。
「癲癇」です。
この件、自宅に帰ってゆっくり。
もともと「人間の脳はその能力のx%しか使っていない」というのは迷信です。
何をもって脳の能力の100%なのか、という基準が無いのですから、分母が無い以上、分子もありえません。
何故そのように言われだしたのかといえば、近代の脳研究によります。
フィネアス・ゲイジの例
http://www.pri.kyoto-u.ac.jp/brain/brain/41/index-41.html
癲癇治療のための脳梁離断
http://www.ho.chiba-u.ac.jp/17/5KINOU/MINE/MINEtop.htm
ロボトミー
http://homepage3.nifty.com/kazano/lobotomy.html
サヴァン症候群
http://x51.org/x/05/12/1952.php
これらの例に見られるように、脳のある部分に器質的損傷を受けても、日常の生活に影響を与えない、あるいは好転する状況が観察されたために、脳はけっこう使ってないところも多いんだろう、という見方が出てきたものです。
しかしながら、これらの例を注意深く観察すればわかるように、脳を損傷すれば必ず何かを犠牲にすることになります。
近代医療の中でもっとも悲惨でもっともグロテスクなロボトミーの例を持ち出すまでも無く、癲癇治療のための脳梁離断手術においても、慎重な能力テストを行なうと、手術後は高度な創造力に影響を与えることがわかっています。(それでも健康と日常生活のための手段として手術があるわけですが)
実際のところ、脳の能力、脳は何ができて心はどこにあるのかなんてものは、わかっちゃいないんです。
最近のトピックではミラーニューロンの発見
http://www8.ocn.ne.jp/~mental/soturon/soturon/3.html
なんてのがありますが、これが心の発見につながるかも、なんてことが言われてます。「共感」について理解できるのでは、と。
が、僕はそれにはまだまだ程遠くて、このミラーニューロンはおそらく魚類などの脳が発達していない、ましてや心なんてありっこないような動物からも発見されるだろうと予測しています。
でなけりゃ、動物はどうやって危険を学習するのか。
そんなわけで、脳と心について興味があればこちらへどうぞ。
http://www.qualia-manifesto.com/index.j.html
あー。なんで癲癇が100%使用率なのかと言いますと、脳波を測るとわかります。
http://www.educ.ps.toyaku.ac.jp/~y024160/literacy/index.htm
脳の神経細胞で異常放電を起こし、場合によっては脳全体が一斉に放電するような状態になると言います。
(この大発作が連鎖しないように脳梁を切断するわけ)
迷信の分野では、原始的な宗教ではしばしば癲癇患者の発作の際に見る幻覚を神のお告げとされたりしたことがあり、巫病(ふびょう)と呼ばれています。
http://plaza.rakuten.co.jp/medastrologer/diary/200505190002/
>nomadさん
「もともと」迷信説については違うと思います。科学的根拠はある推察だったけれど、とっくの昔に否定する証拠が出て、今では信じられていないのかと思います。アインシュタインの脳の話題がセンセーショナルに伝わったようだという事から類推してますが。
しかし、フィネアス・ゲイジの例に見られるように脳の一部が損傷を受けてもある程度機能するとするという発見や、脳が損傷を受けても脳の別の部位が損傷を受けた部位の代替をすること、脳は年を取っても鍛えられるという事、これらの事実と矛盾しないように見えるし、「信じたい人たちが居るから」いまだに流通しているという事かと思います。
筋肉だって結構な年齢まで鍛えられるわけですが….
人間の脳は10%しか使っていないというのは全体のうち使われている部分が10%しかないということなのかそれともある瞬間に使われる部分が10%程度ということですか。
前者はさすがにないと思いますが後者ならありえそうですね。
脳のことはよくわからないんですが、
J2さんの話は「脳は(普段)10パーセント程度しか使っていない」
nomadさんの話は「脳は(癇癪の最中など)100パーセント働く事もある」
という理解で良いのでしょうか?
昔とあるプログラマが、暴走したコンピュータが高速に画面を書き換えるのを見て「この速度で制御できたら……」と呟いた事を思い出しました。もう10年は経ちますが。
えー。僕が書いたことはネタ的要素があり、ひねくれた表現になっていました。
僕の理解では「脳の全稼動状態を定義できていないのでXX%の稼働率という表現は無意味である」となります。
また、(脳波の発生を稼動と定義した場合)癲癇の大発作時の稼働率はほぼ100%と言える—でもそんなのじゃ「稼動」の意味ないよね、ということです。
一定時間内にいくつのjobを処理することができるか。その最大値が「全稼動」とみなすことは可能のように思いますが、人の脳は同時にいくつもの定義できないjobを処理していますので単純にはいきません。暗算している人が、目をつぶっていたり、うまいものを食べている人が寡黙になったりすることは、通常観察されています。暗算だけをさせようとしても気が散って(!)別のことを考えてしまったり、暗算は不得手だが音楽は得意、という人がいたり、と、単位時間当たりで処理できるjobがいくら多くても少なくても、それが即ち脳の稼動と単純な相関関係にあるかどうかはわからないわけです。
血流量やエネルギー代謝量を測定することは可能ですが、それを元にすると先の「最大に働いているときは発作のとき」というパラドックスになってしまうわけですよ。